自分に合うジークンドーでよい。ただ実戦的であってほしい。

 最近、またジークンドーYOUTUBEなどで注目されているようで何よりです。以前からどの流派が本物かとか、誰が本物かというような議論がされていた日本のジークンドー界隈でしたが、これだけインターネットメディアで色々と見ることができる時代になったからこそ、どれが本物かというよりかは、どれもそれぞれ本物という感覚になってきたのではないでしょうか。さらに言えば、自分に合う先生のところで学ぶということでよいと思います。

 ブルースリーが出版しようとして撮っていた写真や原稿が、死後に編纂されて出版されたものを見ると、ブルースリーが想定した格闘の場面はどこかのリングの上ではなく、あくまでもストリートファイトを想定したものであったと思います。それは彼が香港にいた時代もそうであったかもしれませんが、渡米後に一層ストリートファイトを想定するようになったのではないでしょうか。東洋人にとってアメリカでの生活は母国にいる時よりも危険な状況に出会いやすいと思いますし、実際にそういったトラブルに巻き込まれなかったとしても、一つストリートを曲がると急に不穏な空気が流れている場所に出てしまうなど、危険な空気を感じる回数は多いと思います。そんな米国でジュンファングンフーからジークンドーまでの思考、戦略、テクニックが出来ていったのではないでしょうか。

 ジークンドーの面白さというのは、中国武術の流れがアメリカ社会を出会って、ブルースリーという人のフィルターを通してアップデートされたという部分ではないかと思います。そこにはアメリカ社会の多様性や合理主義、思想的な自由さなどが影響していたのではないかと思います。ジュンファングンフーの技術であるトラッピングテクニックは、お互いが接近した状態での戦闘を想定したものであるのに対して、ジークンドーでは機動性やヒット&アウェイ的な戦闘方法が選択されていったように思うのも、アメリカで自分よりも大きな体格の西洋人と対面したブルースリーだからこその戦術の変化であったように思います。その根底にはやはり実践性を重んじるブルースリー先生の思想があったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 今後ジークンドーがどのように発展していったとしても、このストリートファイトを想定したシンプルで効果的で古い伝統に捕らわれない思考、戦略、テクニックは失われてほしくないなと思います。

 同時にジークンドーは道がついて、テクニックだけではなく、哲学的要素も重要であることも忘れてはなりませんね。私が好きなブルースリー先生の言葉は、

「変化を伴う変化は、変化のない状態」という言葉です。

ジークンドーのマークで陰陽が回転している表現になっているのとつながっていますが、相手が陽の力を出して来たら、こちらは陰の力で受け止める。形は変わったけれど、関係性には変化がない状態になる。これは哲学的表現でもありますが、同時に実戦的なテクニックともいえるものです。相手が怒鳴って凄んできたら、こちらも怒鳴ってしまえば喧嘩になる。しかし冷静に落ち着いた声で返したら、相手の勢いも沈静化してくる。喧嘩にならない。相手が殴ってきたら、殴り返すのではなく、距離を取ってかわす。よける。相手はこちらの俊敏な動きを見て、攻撃を躊躇する。

 今の世の中で使えるもの、有益なものが今のジークンドーであると思います。それぞれのスタンスで、自分の目標に従って練習をしていくのが一番ですね。

 

 ミタチアカデミー御館先生のジークンドーのルーツ、先生の考え方がわかる動画も貼っておきます。

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