ジュンファングンフーの技について。どこをつかむのが正解か。

 ジュンファングンフーの技に相手の防御している手をつかんで引っ張りながらパンチを撃つというのがあります。通常は相手の手首をつかむのですが、故リチャードバステロ先生が来日されたときには、同じ技でありながら、肘をつかんで引っ張るやり方を学びました。この時に気づいたことは、大体同じような体格のアジア人同士であれば、手首をつかんで引っ張れば、相手の顔面にパンチを叩き込むことができますが、もしも相手が自分より長身で、手のリーチも長い場合には、手首をつかんで引っ張っても相手の顔面にパンチが届かない場合があるということです。そしてもう一つ、手首はつかみやすいですが同時に抜けやすさもあるのではないかということ。手首より大きな関節である肘関節の方が確実につかめるのではないかとも思いました。普段の練習で、同じような体格の人とだけ練習していると、そうではない人と対峙したときに技が使えないことがあるかもしれません。しかし、相手の腕を引っ張りながら打撃を加えるという技の本質がわかっていれば、つかむところは手首に限定する必要はなく、相手に応じてつかむところを変えてゆけばいいだけのことですね。こういった応用が瞬時にできるようになる柔軟な頭を持ちたいなと思っています。

 ジークンドーそのものが、ブルースリー先生の柔軟な気づきの塊のような気がしています。形を作ることに対してネガティブだったブルースリー先生は、状況が変われば技も変えるのが当たり前ということをよく認識していたのではないかと思います。

 全然ジークンドーとは関係ないかもしれませんが、最近YOUTUBEで抜刀術の動画をよく見ています。色々な刀の抜き方があるなと、見ていて面白いのですが、同時に刀を鞘に入れるという決まり事が固定されてしまっていたから、鞘から素早く抜く技術が練られたということでもあるなと思います。もっと簡単に刀を出せる仕組みがあったなら、鞘から素早く抜くという技術を鍛える必要がないわけですから。そう考えると技術の磨きどころというのは人の固定概念とか、時代の流れのようなものがとても関係していますね。ただ他国の剣を見ても、鞘に納めるタイプのものがほとんどなので、それ以外の剣や刀の持ち運び方法を人類が考えついていないということなのかもしれません。もちろん抜刀術の技術は素晴らしいものなのですけれども。

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自分に合うジークンドーでよい。ただ実戦的であってほしい。

 最近、またジークンドーYOUTUBEなどで注目されているようで何よりです。以前からどの流派が本物かとか、誰が本物かというような議論がされていた日本のジークンドー界隈でしたが、これだけインターネットメディアで色々と見ることができる時代になったからこそ、どれが本物かというよりかは、どれもそれぞれ本物という感覚になってきたのではないでしょうか。さらに言えば、自分に合う先生のところで学ぶということでよいと思います。

 ブルースリーが出版しようとして撮っていた写真や原稿が、死後に編纂されて出版されたものを見ると、ブルースリーが想定した格闘の場面はどこかのリングの上ではなく、あくまでもストリートファイトを想定したものであったと思います。それは彼が香港にいた時代もそうであったかもしれませんが、渡米後に一層ストリートファイトを想定するようになったのではないでしょうか。東洋人にとってアメリカでの生活は母国にいる時よりも危険な状況に出会いやすいと思いますし、実際にそういったトラブルに巻き込まれなかったとしても、一つストリートを曲がると急に不穏な空気が流れている場所に出てしまうなど、危険な空気を感じる回数は多いと思います。そんな米国でジュンファングンフーからジークンドーまでの思考、戦略、テクニックが出来ていったのではないでしょうか。

 ジークンドーの面白さというのは、中国武術の流れがアメリカ社会を出会って、ブルースリーという人のフィルターを通してアップデートされたという部分ではないかと思います。そこにはアメリカ社会の多様性や合理主義、思想的な自由さなどが影響していたのではないかと思います。ジュンファングンフーの技術であるトラッピングテクニックは、お互いが接近した状態での戦闘を想定したものであるのに対して、ジークンドーでは機動性やヒット&アウェイ的な戦闘方法が選択されていったように思うのも、アメリカで自分よりも大きな体格の西洋人と対面したブルースリーだからこその戦術の変化であったように思います。その根底にはやはり実践性を重んじるブルースリー先生の思想があったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 今後ジークンドーがどのように発展していったとしても、このストリートファイトを想定したシンプルで効果的で古い伝統に捕らわれない思考、戦略、テクニックは失われてほしくないなと思います。

 同時にジークンドーは道がついて、テクニックだけではなく、哲学的要素も重要であることも忘れてはなりませんね。私が好きなブルースリー先生の言葉は、

「変化を伴う変化は、変化のない状態」という言葉です。

ジークンドーのマークで陰陽が回転している表現になっているのとつながっていますが、相手が陽の力を出して来たら、こちらは陰の力で受け止める。形は変わったけれど、関係性には変化がない状態になる。これは哲学的表現でもありますが、同時に実戦的なテクニックともいえるものです。相手が怒鳴って凄んできたら、こちらも怒鳴ってしまえば喧嘩になる。しかし冷静に落ち着いた声で返したら、相手の勢いも沈静化してくる。喧嘩にならない。相手が殴ってきたら、殴り返すのではなく、距離を取ってかわす。よける。相手はこちらの俊敏な動きを見て、攻撃を躊躇する。

 今の世の中で使えるもの、有益なものが今のジークンドーであると思います。それぞれのスタンスで、自分の目標に従って練習をしていくのが一番ですね。

 

 ミタチアカデミー御館先生のジークンドーのルーツ、先生の考え方がわかる動画も貼っておきます。

youtu.be

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3つの距離で戦うということ

 ジークンドー素手の武道ですが、ミタチアカデミーでは、棒術やナイフ術などの武器術も学びます。これはフィリピノカリというフィリピンが発祥の武術なのですが、武器を持っても、素手でも同じ動きで相手に対応できるすぐれたシステムであると思います。
 以前リチャードバステロ先生が来日された際に、「三つの距離で戦えなければならない。」というお話をされた事がありました。
 3つの距離とは、

 1.パンチやキックなどの立ち技の距離

 2.相手と接した寝技(グラップリング)の距離

 3.武器を持った者同士が戦う距離

 の3つだそうで、この3つの距離それぞれで戦える必要があるというお話でした。

 1.と2.は想像がつきますが、3.の武器をもった距離に関しては少し意外だったというか、実戦的な発想だなぁと感じました。

 バステロ先生はこうもおっしゃっていました。「もしも、相手がナイフを持っていたら、絶対に素手で対応しようと考えるな。必ずナイフに対抗できるものを持て。」

 たとえば傘でも石でも、武器を持った相手に対してはこちらも何かを持ってバランスを取るという事です。これは卑怯でもなんでもなく、実戦の世界では至極当然の考えではないでしょうか。素手にこだわるというのは実戦の世界では柔軟性を欠いた考え方といえるかもしれません。

 しかし、最後にバステロ先生がおっしゃっていたのは、「ナイフを持った相手に出会ったらまずは逃げる事を考えろ。それが無理なら何でもいいから武器になるものを持て。」

 まずは逃げる事を考える。これも実践的な考えですね。



 ミタチアカデミー
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 道場での練習風景
 

ジークンドー、フェイクとフェイント

 FACEBOOKのチャイナタウンジークンドーの記事で面白いものが
ありましたので、紹介をしておきます。アメリカにはたくさんのジークンドーの団体があり、ブルースリーがシアトル、オークランド、ロスとそれぞれの時代に道場を構えていた時のお弟子さんたちがそれぞれのスタンスでジークンドーを教えています。チャイナタウンジークンドーはそのうちの一つです。
記事の内容は、「フェイクとフェイントの違い」についてです。
 チャイナタウンジークンドーのティムタケット先生の説明によれば、
フェイクとは、目や肩や腰の動きなどで自分が攻撃をしたい方向と逆の方向に相手を導くもの。フェイントとは相手を混乱させるためにわざと行う攻撃で、フェイントを行うときにはキックであれ、パンチであれ本当の攻撃と同じ動きでなければならない。
 極簡単に訳するとこういう事が書いてありました。

 たしかに、ミタチアカデミーでも上記のようなフェイクとフェイントの練習をした覚えがあります。肩を落としてボディにパンチを入れるフェイクを入れたあとに顔面への裏拳を入れたり、相手の顔面にストレートパンチを打って、相手がパリーで避けたらそこからボディへパンチを入れたり。

 本当の攻撃に至るまでのプロセスとしてフェイクやフェイントを活用するわけですね。特にジークンドーにおけるフェイントというのは特徴的なものなのではないかと思います。他の格闘技をやっている方もこの部分はとても参考になるのではないかと思います。


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ミタチアカデミーの練習風景

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  • 発売日: 2021/02/20
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ミタチアカデミーの練習風景

 ジークンドーとカリ・エスクリマを教えている道場「ミタチアカデミー」
の練習風景の動画がYOUTUBEにアップされました。道場の雰囲気や練習内容、御舘先生の教え方などが動画で確認できると思います。
 御舘先生の教え方はとてもわかりやすく、初心者でも確実に上達していくのではないかと思います。道場に通われている生徒さん達も先生の人柄か真面目で親しみやすい方が多いと思います。
 興味のある方はまず見学に行ってみてください。


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ジークンドー、偽者を歓迎する

 ブルースリーという方はあまりにも早くに亡くなったためにショックが大きく、その余波でいろんな影響や副産物を生んだのではないかと思っています。

 最近You Tubeブルースリーの吹き替えやブルースリーもどきの役者の動画を見るのが楽しいです。
 まったく動きがなってない役者さんもいれば、なかなかに模写がうまいなという役者さんもいます。もちろんオリジナルであるブルースリーを超える方は残念ながらいませんね。でもそれぞれにブルースリーへのリスペクト、オマージュが感じられていいです。


 最近とある出版社の社長の話を聞いて、こういったコピーもの、偽ものに対するアプローチ、スタンスの違いについて考えさせられました。

 以前からマンガの世界では、同人誌という世界があり、メジャーなマンガのキャラクターを勝手に使って新しいマンガを作ったりする事がありました。同じ現象が動画投稿サイトの出現によって、動画の世界でも起こっています。いわゆるMADムービーというやつですね。

 この流れに対して、オリジナルをつくっている制作側のスタンスをどうとるか。

 版権が関わってきますから、勝手に動画を流用されたりする事は本来規制をしなければなりません。こういった動画投校サイトに否定的なメディアの重鎮たちも多いようです。

 しかし、その社長は、こういったメディアの共有や開放の流れというのは、止めようと思っても止められない。歴史的に見ても、情報の自由化を食い止める事はできない。という事実を認めた上で、そういった流れをどう許容するか、もしくはどう利用するかがこれからの考え方として重要だという事をおっしゃっていました。


 コピーや偽ものの出現は、オリジナルが魅力的であればこそ発生するものです。人気のバロメーターともいえますし、最近では逆にコピーやアレンジ品の勝手な流通によって、さらにオリジナルの人気が高まるという現象が起きています。


 さらにオリジナルのあり方、作り方に関してもインターネットメディアの出現によって変わってきているようです。昔であれば前提情報や解説などを織り交ぜなければいけなかったものが、インターネットメディアの出現で視聴者が勝手に前提情報を仕入れたり、物語でわからない部分を他社と補足しあったりしてくれる。こうなると限られた時間でコンテンツを作らなければいけない作り手としては、説明のために必要だった部分を省く事が可能になってくる。



 作品つくりも変わってきますね。


 なにはともあれ、コピー、偽ものはオリジナルの魅力の賜物。どのように歓迎するかを考えなければいけない時代になったようです。



 そしてこんな時代だからこそ、本物の価値はさらに上がるのだと思いました。


ミタチアカデミー (御舘先生の道場です。)
http://mitachiacademy.com/
道場の様子を動画でチェック






僕が通っているジークンドーの道場です
http://www.mitachiacademy.com/

ブルースリー、アメリカへ

 最近、私のまわりで留学を考えている人が多い。大抵が大学を卒業して、社会人として働いている人たちだ。
 行く先として多いのが、アメリカ。学びたいものは、それぞれファッションやビジネスや法律などばらつきがあるが、アメリカに行く人が多い。
 ニューヨークには、ファッションの分野で世界的にも有名なFITやパーソンズという大学があるそうで、そういったところで学ぶ日本人も多いらしい。ファッションといえばパリやミラノ、アントワープなどのヨーロッパではないかと思っていたが、実際にビジネスとしてファッションやビジネスを学ぶのであれば、ニューヨークは学びの場としていいという事を友人から聞いた。

 ブルースリーも香港からアメリカへ渡り、ジークンドーを創始した。環境を変える事は、個人に大きな影響を与える場合がありそうだ。
 「ブルースリー物語」という映画では、ブルースリーアメリカに行ってアメリカのファーストフードがチェーン展開しているのを見て、カンフーの道場のチェーン店を作る事を奥さんのリンダさんと共に夢として語るシーンが出てくる。また、カンフーを人種の差別関係なく教えたいというリーのスタンスもアメリカというリベラルな国に住んでみて芽生えた考えなのではないだろうか。

 私の友人でアメリカに行く決意をした人にも、ブルースリーのように、様々な発見や新しい夢を掴んでほしいと思う。

 東洋の文化と西洋の文化が融合したジークンドーを学びながら、私も様々な発見を続けていきたい。


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 ブルースリー物語

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